海外旅行で、自分が信じていた「虚構」が見えてくる|「サピエンス全史」を再読・レビュー

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ホモ・サピエンスは「虚構」を信じることができた

先日、サピエンス全史を5年ぶりに再読してみていると、
改めて面白い内容で、初めて読んだときより衝撃が薄れているはずなのに、
ページをめくる手が止まりませんでした。

この記事では、この書籍を読んで、海外旅行で何度も感じてきた「違和感」の正体について改めて感じたことをまとめてみました。

改めて面白いと感じたのが、上巻の第一部で語られている「認知革命」についての部分です。

まだ読んだことのない方に向けてざっと内容をまとめると、

かつてネアンデルタール人など我々ホモ・サピエンス以外にも「人類」と呼ばれる種がいたのですが、
身体能力や脳容量だけを見れば、必ずしもサピエンスが突出していたわけではありません。
ホモ・サピエンスが最終的に生き残ったのは「虚構」を共有できたからです。
ここでいう虚構とは、嘘や幻想という意味ではない。
国家、宗教、法律、制度、貨幣といった、「実体はないが、多くの人が信じている前提条件」のことです。

「日本」という国の実物などどこにも存在しません。
それでも私たちは、いま立っている場所が日本であると疑いません。

ただの紙切れや数字の並びにすぎないお金を、価値あるものとして受け取り、命に関わる医療や生活必需品と交換します。

こうした虚構を共有する能力が、血縁や顔見知りを超えた大規模な協力を可能にし、
ホモ・サピエンスは他の人類種を圧倒していったのです。

虚構は、集団の内側では強いが、外では通用しない

虚構は、集団の結束を強めます。
しかし同時に、それは集団の外では驚くほど脆いものになりかねません。

思い返せばそのことを、私は海外に出るたびに「違和感」として実感していたように思います。

時間厳守という虚構を強く共有する日本人

たとえば「時間厳守」という感覚。

海外では、バスや電車が30分以上遅れてくることも珍しくありません。
日本で生活していると、時刻表通りに来ることが前提になっているため、
旅行中は何度経験しても「本当に来るのだろうか」と不安になります。

日本でも遅延は起こるが、ほぼ必ずアナウンスがあり、謝罪があり、理由が説明される。
その一連の対応に、私たちは何の違和感も覚えませんよね。

これは「時間を守るべきだ」という虚構を、日本人が強く共有している証拠です。

「おもてなし」は、世界共通ではない

「おもてなし」も同様です。

ハワイのホテルで、日本人スタッフに対応してもらったことがあります。
日本語は通じて、丁寧ではありましたが、どこか日本のホテルで感じるそれとは違ったように感じ、
正直に言えば、少し残念に感じました。

しかし後から考えると、それは相手の問題というより、
私自身が「日本的なおもてなし」という虚構を、無意識に海外にも持ち込んでいただけなのかもしれません。

海外の多くの人にとって、接客はもっとドライで合理的なものであり
それで何も困らないし、不満も生まれないのです。

海外旅行を通じて「自分が生きている虚構」を感じれる

海外旅行では、同じ人類同士であるにもかかわらず、
信じている物語が違うだけで、前提が簡単に崩れる瞬間を何度も経験します。

これこそが、日本国内の旅行では得られない、海外旅行の本質だと思います。

海外旅行とは、異文化を知る行為というよりも、
自分がどんな虚構の中で生きてきたかを可視化する体験でもあると思います。

自分の虚構に気づけたら、考え方が広がる

海外を訪れたときには、
日本で暮らしていると当たり前になりすぎて意識しない、
「素晴らしい虚構」を探してみてください。

同時に、海外の価値観の中で合理的だと感じたものを、
全面的に否定もせず、無批判に持ち帰ることもせず、
自分の中にそっと組み込んでみてはいかがでしょうか。

海外旅行という時間を、世界を広げるだけでなく、
自分が立っている前提条件を、一度外から眺め直す行為にできたらもっと
素敵な旅になるかもしれません。

では。

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