導入
ニューヨーク・ヤンキースといえば、
MLBの中でも特に歴史と知名度のある、「名門」と呼ばれるメジャー・リーグの球団で、数々の有名選手を輩出してきました。
そこで、

「ヤンキースに所属した日本人選手って誰がいるの?」
という人のために、松井秀喜さんを始めとする、ニューヨーク・ヤンキースに所属した日本人選手をまとめてみました。
この記事では、
ニューヨーク・ヤンキースに所属した歴代日本人選手を一覧で整理し、
それぞれがどんな成績を残したのかを、
分かりやすくまとめていきます。
ヤンキースに所属した歴代日本人選手は7人(+1人)
結論から言うと、
ニューヨーク・ヤンキースに所属した日本人選手は、これまでに7人います。
所属した日本人選手は以下の通りです。
- 伊良部秀輝(投手)
- 松井秀喜(外野手/DH)
- 井川慶(投手)
- 五十嵐亮太(投手)
- 黒田博樹(投手)
- イチロー(外野手)
- 田中将大(投手)
- 加藤豪将(内野手/外野手)※マイナー契約
いずれも「ヤンキースと契約し、球団に所属した日本人選手」であり、
在籍期間や起用法、評価は選手によって大きく異なります。
このあと、それぞれの選手について、
在籍時期・役割・ヤンキースでの位置づけを順に見ていきます。
伊良部秀輝(投手/1997〜1999年)

⚫︎プロフィール
・1969年(昭和44年)5月5日生まれ。沖縄県コザ市生まれ、兵庫県尼崎市出身。
・ポジション:投手
・1988年にロッテ・オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)入団。
1997年に日本人初のヤンキースのメジャー契約選手に
当時日本球界最速の158km/hを記録するなど、「日本球界で最速の投手は誰か」の議論にしばしば挙がる投手です。
1996年オフにメジャーリーグへの移籍希望を表明し、ヤンキースへの入団を希望したがロッテはサンディエゴ・パドレスに伊良部の保有権を永久的に譲渡する契約を交わしました。
ニューヨーク・ヤンキースでのプレーにこだわり、最終的に三角トレードの形でヤンキースへ入団。
契約は4年1,280万ドル(約15億5,000万円)でした。
1998年に日本人初のワールドシリーズ制覇を経験するなど、最速99マイル(159.3km/h)速球と得意のフォークボールで先発や中継ぎとして活躍しました。
ヤンキースのほか2球団を渡り歩き、MLB6年の通算成績は34勝35敗、防御率は5.15でした。
松井秀喜(外野手/DH|2003〜2009年)

⚫︎プロフィール
・1974年(昭和49年)6月12日生まれ。石川県能美郡根上町(現・能美市)出身。
・ポジション:外野手、指名打者(DH)
・1993年に読売ジャイアンツ入団。
ニューヨーク・ヤンキース史上、最も成功した日本人選手
日本プロ野球では、
読売ジャイアンツで長距離打者として圧倒的な存在感を放ち、
セ・リーグを代表する主砲として活躍しました。愛称は「ゴジラ」です。
2002年オフに海外FA権を行使し、ニューヨーク・ヤンキースと契約。
契約は3年総額2100万ドルでした。
MLB挑戦当初は、
日本人野手が通用するかどうかに注目が集まりましたが、
松井は加入1年目から中軸打者として起用され安定した打撃でチームに貢献しました。
ヤンキース在籍7年間で、
主に左翼手および指名打者としてプレーし、
勝負強さと堅実な打撃で現地ファンから高い評価を得ました。
特に2009年のワールドシリーズでは、
打率.615、3本塁打、8打点の活躍を見せ、
日本人選手として初めてワールドシリーズMVPを受賞。
ヤンキースの世界一に大きく貢献しました。
ヤンキース在籍期間の通算成績は、
打率.292、140本塁打、597打点。
ニューヨーク・ヤンキース史上、最も成功した日本人選手
として今なお語り継がれています。
井川慶(投手 | 2007年〜2011年)

⚫︎プロフィール
・1979年(昭和54年)5月13日生まれ。広島県安芸郡熊野町出身。
・ポジション:投手
・1997年に阪神タイガース入団。
阪神時代は、左腕エースとして安定した成績を残し、
2003年には20勝を挙げて最多勝・最優秀防御率を獲得するなど、
リーグを代表する先発投手として活躍しました。
2006年オフにポスティングシステムを利用してMLB挑戦を表明し、
2600万ドル(約29億5300万円)のポスティング費に加え、5年2000万ドル(約22億7000万円)+出来高の契約でニューヨーク・ヤンキースに入団しました。
不名誉にもヤンキースの過去の失敗補強ワーストに選出
ヤンキースでは主に先発投手として起用されましたが、
制球や被本塁打の多さなどに苦しみ、
安定したローテーション定着には至りませんでした。
2年間で16試合に登板(13試合に先発)し、2勝4敗、防御率6.66という成績に終わり、残りの3年間はメジャー登板なし。マイナー生活を余儀なくされました。
ヤンキースという結果を強く求められる環境や、
アメリカ野球への適応の難しさが表れた例とも言われています。
米メディアではヤンキースの過去の失敗補強ワースト12を格付けし、不名誉にもワースト1位に選出されてしまいました…。
上原浩治さんとの対談では、「サイドスローかアンダースローにしないとメジャー・リーグでは通用しない」などと言われたエピソードなどを語っておられます。
五十嵐亮太(2012年)

⚫︎プロフィール
・1979年(昭和54年)5月28日生まれ。北海道出身。
・ポジション:投手
・1998年にヤクルトスワローズ入団。
五十嵐亮太は、
日本では最速160km/h近い速球を武器とする救援投手として知られ、
ヤクルト時代にはクローザー・セットアッパーとして活躍しました。
2010年にニューヨーク・ヤンキースへ所属
2009年オフにフリーエージェントとなりMLBへ挑戦。
ニューヨーク・メッツでメジャーデビューを果たした後、ブルージェイズなどに所属した後に
2010年シーズン途中にニューヨーク・ヤンキースへ移籍しました。
ヤンキースでは、中継ぎ投手として起用されましたが、
在籍期間は短く、登板機会も限られました。
チーム事情や投手陣の層の厚さもあり、主力として定着するまでには至りませんでした。
その年限りでMLBから日本球界へ復帰し、ソフトバンクや古巣のヤクルトで活躍後、2023年に現役引退。現在ではMLB・NPB両リーグの人気解説者として活躍中です。
黒田博樹(投手|2012〜2014年)

⚫︎プロフィール
・1975年(昭和50年)2月23日生まれ。大阪府大阪市出身。
・ポジション:投手
・1996年に広島東洋カープ入団。
黒田博樹は、
日本では広島カープのエースとして先発ローテーションを支え続けた投手で、
力ある真っ直ぐで押すタイプの完投型のピッチャーでした。
今でも名投手としてヤンキースファンの記憶に残る日本人
2008年にFAでMLBへ挑戦し、
ロサンゼルス・ドジャースで先発投手として実績を積んだ後、
2011年オフにニューヨーク・ヤンキースと契約。契約先を選ぶ際には古巣のドジャースとは別のリーグを優先して選んだそうです。
契約は本人の希望もあり1年契約で毎年更新していました。
ヤンキースでは先発ローテーションの一角として起用され、
日本時代のような真っ直ぐで押すタイプから、ツーシームを軸として打たせて取るタイプへシフトチェンジし、試合を安定して作る投球で高い評価を得ました。
2012年から2014年までの3年間、
毎年ローテーションを守り続けました。
メディア対応や立ち振る舞いも含め、
プロフェッショナルとしての姿勢が高く評価された日本人投手です。
ヤンキース在籍期間の通算成績は、
38勝33敗でした(MLB通算は79勝79敗、防御率3.45)。
黒田博樹は、
ヤンキースなどで安定した評価を得た数少ない日本人先発投手
として、今でも現地のファンの間でその名を残しています。
特に印象的な試合が、2014年9月27日、黒田のMLB最後のマウンドとなった日です。
この日はヤンキースの名選手、デレク・ジーター選手の引退試合ででした。
その試合に黒田は先発し8回被安打3と好投し、交代時に監督より「マウンドに上がってファンに挨拶したらどうだ」と持ちかけられると「今日はジーターの日だから」と断ったと対談で話しています。
試合はデレク・ジーター選手がサヨナラヒットを打ちヤンキースは劇的な勝利を収めました。
イチロー(外野手|2012〜2014年)
⚫︎プロフィール
・1973年(昭和48年)10月22日生まれ。愛知県西春日井郡豊山町出身。
・ポジション:外野手
・1992年にオリックス・ブルーウェーブ入団。
誰もが知る、米国・日本双方の歴史における史上最高のヒットメーカー
イチローは、
日本プロ野球・メジャーリーグの両方で歴史的な実績を残した外野手であり、
日本人野手の象徴的存在として知られています。
MLBではシアトル・マリナーズで10年以上主力として活躍し、
数々の記録を打ち立てた後、
2012年シーズン途中にトレードでニューヨーク・ヤンキースへ加入しました。
ヤンキースでは、ベテランらしい落ち着いたプレースタイルと実績から、
ヤンキースでもファンやメディアから注目されました。
派手な長打力ではないものの、ヒットメーカーとしての貢献は信頼され、
2番での起用を中心に守備や走塁でも重要な役割を担いました。
⇩現地メディアより「NINJA(忍者)」と言わしめた、走塁です。
田中将大(投手|2014〜2020年)

⚫︎プロフィール
・1988年(昭和63年)11月1日生まれ。兵庫県伊丹市出身。
・ポジション:投手
・2007年に東北楽天ゴールデンイーグルス入団。
日本球界で圧倒的な成績を残してニューヨークへ
田中将大は、
楽天時代に圧倒的な成績を残した右腕投手で、
2013年には24勝0敗という歴史的なシーズンを経験しました。
その活躍を受け、2013年オフにポスティングシステムを利用してMLB挑戦を表明します。
ヤンキースとは7年総額1億5,500万ドルの大型契約を締結。
当時、日本人投手としては最高額クラスの契約であり、
即戦力の先発投手として大きな期待を背負っての加入でした。
ヤンキースでは先発ローテーションの中心として起用され、加入1年目から二桁勝利を記録。
以降も長期離脱を最小限に抑えながら、安定して先発投手としての役割を果たしました。
特に評価が高かったのが、ポストシーズンでの強さです。短期決戦で結果を残す投球が目立ち、
「大舞台に強い投手」として信頼を集めました。
ヤンキース在籍7年間の通算成績は、78勝46敗。
田中将大は、長期間にわたってヤンキースの先発陣を支えた日本人投手
として、球団史に名を残す存在となりました。
加藤豪将(内野手|2013〜2022年 ※ヤンキース傘下)

⚫︎プロフィール
・1994年(平成6年)10月8日生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身。
・ポジション:内野手
・日系アメリカ人(三世)。日本代表資格を持つ選手。
加藤豪将は、
メジャーリーグでの公式出場はないものの、ヤンキース組織に所属した日本人内野手です。
2013年のMLBドラフト2巡目(全体66位)でヤンキースに指名されました。
このドラフトでは、
1巡目でアーロン・ジャッジが指名されており、加藤はジャッジの次にヤンキースが指名した野手です。
日本人初のMLBドラフトからのメジャー・リーガー
加藤は入団後、
ルーキーリーグからマイナーリーグを着実にステップアップし、
内野の複数ポジションを守れるユーティリティ性を評価されてきました。
特に守備力と野球IQの高さが評価され、
一時はメジャー昇格候補として名前が挙がる時期もありましたが、
最終的にヤンキースでのメジャーデビューには至りませんでした。
その後ブルージェイズに移籍した際にメジャー昇格し、MLBドラフトを通じてメジャーに昇格した初めての日本人となりました。
2022年には日本ハムにドラフト3位指名を受け、日本球界でプレーしました。
2024年に現役を引退後、現在はブルージェイズのフロントに入り、野球運営部門補佐に就任しています。
まとめ|ニューヨーク・ヤンキースに所属した日本人選手
ニューヨーク・ヤンキースには、以上の日本人選手が所属してきました。
伊良部秀輝が日本人として初めてヤンキースとメジャー契約を結んだことを皮切りに、
松井秀喜はワールドシリーズMVPを獲得し、球団史に残る成功を収めました。
黒田博樹や田中将大が先発投手として安定した活躍を見せ、
そしてイチローのようにキャリア後半でも名門球団で役割を果たすなど、
数々の名場面を日本人がヤンキースファンの心を動かしてきました。
2025年現在、ニューヨーク・ヤンキースに日本人選手は所属していません。
今後、再びヤンキースのユニフォームに袖を通す日本人選手が現れるのでしょうか。
ニューヨークで日本人選手の活躍を観戦する日が待ち遠しいですね。
他の記事では、ニューヨークのおすすめスポットを書いています。




コメント